三人の風呂上がりを待つように夕餉の支度がされていた。
 お真知はもともと女らしく料理をさせても上手かった。一口食べて嵐は驚く。考えてみればあたしはろくにできない。一族の頭の娘として飯など年寄りたちが用意してくれたもの・・そう思うと剣に明け暮れた日々が思い出され、すでにない母や父や、如月一族の皆のことを思い出す。
「それでね」
 穏やかに切り出した嵐の言葉に皆は目をやる。
「約束通り、あたしら五人に千両ずつ。それは約束だから五人には一箱ずつ配るけど。けどね、九百両のはずが千両ずつ入ってる。すでに百両もらってるから、つまりは五百両多いってことになる。そこで皆に相談なんだが、百両ずつ出してくれないか」
「私ならいいよ、なんなら百両だけでもいいぐらいさ」
 江角が言って皆が見て、さらに言う。
「これからのあたしらのために使って欲しいさ。代わる者のない仲間だ、ここを出たらまた彷徨う。もう嫌だ。お紋ではないけれど、もう嫌だよ」
 皆一様に思いは同じ。

「千両箱なんて荷が重いよ」 と、お菊が言った。
「あたしもだね、怖くなる金子(きんす)だよ」 と、お涼が言った。
「・・うーん、ならあたしも」
 千両箱に未練があるのはお雪らしい。しかしお雪は、穏やかに笑ってお燕に目をやりながら言う。
「けどそれじゃ不平が出るね」
 江角がお雪を見つめた。お雪が言った。
「だってそうだろ、お燕にはないし、お真知にしたってないんだよ。お真知には着物だっているだろう。お燕なんて懸命に働いてくれている」
 お燕は、とんでもないと言うように目を丸くして首を振る。
「あたしはお店でもらってるから姉様たちのお役に立てて。あたしは身の回りのお世話だけなんだし」
 そう言うお燕をお雪は見つめ、さらに言う。
「ほらね、健気だろ。だからさ姉様」
 嵐は、もとより承知と言うようにうなずいて皆を見渡す。
「わかったよ、ではお燕にも百両、お真知には・・」
 と言ってお真知に目をやったとき、お真知は言った。
「あたしなんて・・そりゃ着物はいるけれど・・。なら姉様、仏壇が買えるだけくだされば」
「仏壇? ここに置くのかい?」
「はい、一生手を合わせていたいから」
 嵐は皆を見渡した。皆の面持ちはやさしかった。
「わかった、ではそなたにも百両あずける」
「そ、そんなにはいりませんから」
「いいからもらっときなよ、姉様方の気持ちじゃない」
 隣りで脚を崩して座るお燕が、正座で座るお真知の膝をぽんと叩いた。
 江角が言う。
「あたしらの役目はこれからなんだ。それに、それぞれ国元に届けたい者たちもいるだろう。欲しいだけ取って残りは蓄えておけばいい」

 しかし嵐は、ちょっと困ったように小首を傾げて言った。
「さて結だね、どうしたものか・・」

 夕餉を済ませ、上にお燕とお真知を残したまま、五人は地下へと降りたのだった。牢の中の結は、牢に入れられてから幾日も風呂など許されず、結った髪などとうに降ろしてばさばさで、糞尿の臭いも漂って、それこそまさに獣の匂いに満ちていた。
 力を失って脚を投げ出して座っているのに目だけはぎらぎらと敵意が宿る。
 嵐は牢の前にしゃがんで牢格子から中を見つめ、ちょっと睨み合って言うのだった。
「どうしようもない女だね」
「やかましい、殺せ」
「お紋は死んだ。おそらくは好き合った男と刺し違えて一度は死んで、しかし蘇って白い般若となって化けて出た」
 結は黙して語らない。
「けど、そんなお紋も二人の手下も、侍どもに襲われた。口封じだよ」
 結はそっぽを向いたまま目だけがこちらを向いていた。
「嘘じゃないな?」
「嘘などついてどうする。お紋が万座に潜むこと、雇い主が知っているから手が回った」
 そして嵐は、お雪に言ってタライに湯を用意させ、牢の前に置き、それからお菊とお涼の二人に言った。
「出してやりな」
 それから結に向かって言う。
「体を拭け、臭い。・・その間に誰か牢を掃除してやるんだね」

 結にはサラシの腰巻きだけが許されている。牢から引きずり出されて周りを囲まれ、腰巻きを取って裸となった結は、大きなタライにしゃがみ込んで手拭いを搾っている。体つきはお真知ほど。乳こそ小さかったがくびれて張る男好きする体。まだまだ若く目立った傷のない綺麗な肌。しかし入牢で窶れて痩せ細り、肋が浮き立ってしまっている。同じくノ一の定めを背負う女。皆もそう思ったに違いない。
 女ばかりの中、地べたに片膝をつき、体を拭いて、用意された着替えの腰巻きと浴衣を着込む。それでも髪までは洗えず、少し匂って臭かった。
 その間にお雪とお菊で牢の中を掃除する。二人が出て、結が着物を着直して、しかしすぐには牢に戻さず、ムシロを敷いて座らせる。
 段差のあるわずかばかりの板の間への縁に皆は座り、そんな結を見下ろした。
「世をすねてどうする。お紋でさえが裏切られた、そこをよく考えろ」
 江角が言い、続けてお雪が言う。
「いまのままじゃ道はないよ。尼となる資格すらない。お天道様を見ることもできないだろう。ま、おまえ次第だね、おしろい般若は失せた。我らは公儀の者ではないからね。死罪のどうのと言える身でもないんだよ。死にたいなら匕首をやろうじゃないか。牢の中で死んでいくがいい」

 もういい入れと嵐が言い、立ち上がって背を向けた結に向かってさらに言う。
「おまえには耳もある、頬も綺麗だ、乳首もあるし女陰だって焼かれていない。
お紋の苦しみを考えろ。好いた男と刺し違え、それでも死ねず・・天狗とやらの法力だろうが、生き返ったところで定めは辛い」
 それから嵐は皆に向かって言った。
「この者はだめだ、自ら魔道を選んでいる。しばらくは牢暮らし。それでだめならそのときは・・いたしかたないだろうね」
 結に声はなかった。嵐の言葉を聞きながら牢の口をくぐって入る。
「土佐の桐生らしいが、おまえの肌には傷もない。役目は探りだね?」
 と、江角が問うた。
「・・そうさ、さる屋敷で腰元をしていた」
「酒膳の親爺も仲間だな? 言え。もはや隠す意味もないだろう」
 結は座り直してこちらを向くと、わずかだが弱くなった眼の色で江角を見上げた。
「仲間と言うならそうだろうけど爺は般若じゃない、甲賀の草さ」
「豊臣の手か?」

 結はうなずき、しかし、それさえもはや違うと言った。
「何もわかっちゃないんだね。豊臣徳川と二分するが、西方では身を偽る輩はまだまだいる。徳川とて豊臣の家来の一人だよ。豊臣に心を残しながら徳川方に仕える者は多いんだ。その豊臣の中にだって心中寝返りを目論む者もいるし、その逆もいるってことさ」
 お菊が問うた。
「尾張にも入り込んでいるんだろうね?」
「ふんっ、それだけじゃないさ、小早川もいれば福島もしかり。獅子身中に虫だらけ・・けどあたしにはどうでもいい。あたしら一族などもはやおしまい。銭のためなら何でもやる」
 そして結は、如月夜叉の頭である嵐を見つめた。
「お察しの通りだよ、尾張に巣食う虫が糸を引く。尾張の家中で関ヶ原の少し前に寝返った者を探れ。そこまで言えばわかるだろう。尾張、京、大阪と、商家や大工なんかも次々に江戸へ出て行く。豊臣はおしまい。それはそうでもその地に残る者にとっては寂れていくだけ。江戸を騒がせるのも目的でね」
「おまえ、お紋に拾われたか?」
 結はうなずく。
「けど、商家を探って女をさらう、あたしの役目はそこまでさ」
 お真知と同じような身の上だ。
 結は言う。
「お紋の姉様に抱かれた」
 そっと言う結の声に皆は静か結を見つめた。
「なんと惨い体だろうと怖くなった。姉様の事情を知って哀れでならない。情が動いた。あたしは女陰働きもした女・・それほど哀れな姉様に『あたしもだよ、くノ一なんて哀れなもんさ』と抱かれたときに、やっとあたしをわかってくれる人ができたと感じたさ」

 皆はそれ以上を語らなかった。
 結を残して上へと上がった五人と入れ替わるように、お燕が握り飯と味噌汁を持って降りて行く。嵐は、結ががつがつ獣のように喰っているとは聞いていた。それが望み。生きようとするから喰う。
 そのときお燕は結が喰い終わるのを牢の外で待っていた。
「お紋て人、いっぺん死んで生き返ったそうじゃないか」
 結は握り飯に喰らいつきながら目を上げた。
「女房みたいなもんだよ」
「え? 女房って?」
「天狗様に救われたのさ。惨い責めで化け物にされた女だよ。恨みの深さがどれほどのものか。あたしだって、そんな姉様に救われた」
「どういうこと?」
「くノ一にもいろいろいてね、あたしは剣より探索方。あるお武家に色として潜り込んでいたんだけど正体がバレちまって殺されかけた。男どもの中で裸にされて犯されて責められて・・そのとき白装束の般若が現れて男どもを叩き斬って救ってくれた。仲間でもないあたしを可哀想にって抱いてくれたさ・・ふふふ、それであたし、お紋の姉様に惚れちまった」
 結は喰い終わった皿と椀を盆に載せ、突っ返すように差し出した。
「おい」
「え?」
「上へ行ったら伝えておけ。葬るなら素っ首飛ばして神仏の元へ届けよと。そうしない限り、天狗がふたたび蘇らせる・・とな」
2015/12/24(木) 12:25 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)

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